伝播する呪詛

半年前の話になる。僕がかつて所属していた職人たちの課で、先輩の職人二人と訪問して仕組みの手入れをしていた、東京のはずれの家具屋があった。

所属の課が変わった今はその家具屋は僕の担当であり、先輩たちが残した功績と、負債を一身に背負っているというわけだが、その頃に組んでいた職人の一人は、名古屋へ転勤となった。そして今、僕が考古学者兼職人として、彼はその試験を行う担当として体制を共にしている。例によって頭文字から【ユル】と呼ぶ。


【ユル】はおそらく僕よりも15くらいは歳上だが、職人歴は浅い。元は教鞭を振るっていたが、そこから一般の組合に所属し、仕組みを使う側として過ごした。ある時職人へと転向した。というか、よく聞けばそれ以前から独力で職人じみた仕事はしていたようだった。それゆえ優れた手業を身につけていて、かつ人に教えるのが上手い、この工房では稀な人材だった。

かく言う僕も、家具屋の複雑怪奇な仕組みを彼が解析して教え込まれた。かなり優しく教えてもらい、個人的には糧になったと思っている。

その彼が、今僕に牙を剥いて立ちはだかっている。他でもない、【フェオ】の一件でだ。


彼は僕に、「コーデックスの開発者が仕様を明らかにせねば私は動けない」「試験担当が仕様を決めねば始まらないのか」と声を荒げた。名古屋と転属した【ユル】は、もはや【フェオ】と同じ工房の職人である。僕は正しい動きも推察するしかない中で考古学を交えた補修を行なっている職人だが、決してコーデックスを起こした著者ではないし、まして正しい動きを他人に教えるほど読み込んで伝える仕事を任されたわけではない。

というか、ここからが肝だが、この仕事は名古屋の工房の仕事である。僕はその手助けを行う立場であり、決してコーデックス全体の責任を負う立場ではない。あくまで【フェオ】が元凶にもかかわらず、その責任を僕に挿げ替えようとする動きと見て取れるのだ。


これにははっきり言うと狼狽している。彼はまだ工房が同じであったとき、担当していた家具屋もまた同じように、他人の雑な作りの仕組みの尻拭いをし続けていたのだ。担当となった悪しき仕組みに足を取られて身動きが取れない状態では発言力も当然ながら低く、地方へと左遷された上で今また責任転嫁による害を被りかけている状況なのだろうと僕は認識している。

なぜなら、ここで僕がこの呪われたコーデックスの「作者」を騙ったとすると、当然ながら仕組みが動き出した後の支援や保全は僕の仕事となるだろうが、そうでなければ【フェオ】を封じられたあちらの工房では手練れの職人は【ユル】しか居ないからだ。


責任の擦りつけ合い、という図式が判るだろうか。本来であれば【ユル】も僕もまた、罰を受けるべき職人ではないというのに、惨いことに彼はやる気だ。それならばこちらにも考えがある、とはなかなかどうして思えないと、この所属する課の長に相談することになった。

彼曰く、「でもあいつ、去年お前が貰うはずの家具屋の成果、全部横からパクってたぞ」


は???

古代都市埼玉と尊大さについて

空は暗い。朝六時、まだ寒く桜は三分咲きといったところで僕は覚悟を決めていた。他でもない、今日は多くの企業に新入社員が入社する日だ。何の覚悟かって、それは交通機関が混乱することへの覚悟だ。

 

専門外に口を出した機構士のお陰で月曜の起床が五時半となった僕は、前日の重労働のダメージを回復しきれないまま電車へと飛び乗った。目的地は下りのためそう混んではいないものの、旅行でもないのに二時間もかかる目的地へと移動するのはストレスだった。

目的地に着き、タクシーを呼び、これこれこういう工場までと伝える。道中の赤信号でふと横を見れば、今や新しく作られてはいないであろう、赤さびた家族計画販売機に、現代技術の叡智が詰まった薄い素材の避妊具が並んでいた。なるほど、埼玉では古代の技術が現代にも生きている。温故知新の地域というわけだ。
考古学者の需要はひょっとすると都市部よりもこちらにあるかもしれない。

 

九時に工場へ着くと、まず初めに言われた指示は「もう少し後で」であった。それから一時間後ぐらいに一件、前回の稼働試験で見つかった元来の不具合への修正の挙動を見、問題がないことを確認し、二時間くらい外へ出て池の鴨を見ながら毒に火を点けて吸い込んだり、また作業員たちと肩を並べて弁当を食い、引き上げた。

僕は全くこの場に必要がなかったし、現場で直すような不具合は一切発生しなかった、ということがお分かりだろうか。

 

暗い気持ちで電車に乗り、それから一時間と少し電車で睡眠を取った。何度か目的地と間違えて聴き取ったのか僕の体は覚醒し、そしてまた暗い気持ちで睡眠を取ってを繰り返し、工房へと戻った。戻ってから特に機構士からは何も指摘はなかった。代わりに、僕の管轄外の、遠く離れた博多の地に住む、同年の職人が手掛けた「旧い仕組みそのままを現代技術に書き換えた」ものを「劣化」と切り捨てて報告をしていた。

彼は実は当時、この工場の担当技術者だったという。手ずから面倒を見た仕組みが間違って動いていたことを彼は頑なに認めようとせず、新しい仕組みを隅から隅まで見渡した時に見つかったものをこれ見よがしに「劣化」と決めつけ大声で喚きたてたのは、今に始まったことではない。
が、一応職人の端くれとして思う所があったので、彼からの連絡には旧環境で全く同様の操作を行って全く同じ障害が発生した画面を貼り付け、そして修正したコーデックスについて、見習いの職人に分かるように懇切丁寧に説明して添付した。自分の作ったものが完璧だと思っている程度には大人ではないにせよ、プライドを傷つけられて喚くほど子供ではないので、特に反応は無かった。

 

一つ二つ、今回の仕事で分かったことがある。

仕上げた仕組みの問題の非存在を裏付けることが悪魔の証明であるように、職人のあらゆる仕事について、完璧といえるものは存在しない。同じように、教育したり問題を指摘したりする仕事についても、全く同様で完璧と言える仕事は存在しない。
立場上、職人よりもそれを育てる役割の人間は上に見られ、当然ながら職人の技術水準を高める仕事はそれだけで尊い行いだとは重々承知しているものの、しかしそれ自体が正しい行いだとは誰も保障しない。
もし自分が頼りなげにそうした教育を施すことがあったら、と想像する。当然ながら相手は困惑するだろう。それゆえ慎重になることは難しく、今回のような大きい子供をあやすような状況が形成されるのではと思った。

 

新しく職人となる者も多い中で、そうしたことまで初めから分かっている人間がどれだけいるだろうか。と、はたと不安になる一日だった。

 

それはそれとしてお前は殺す。

何に向かって走るというのか

職人となる前の話をするのも若者ぶっているようで抵抗があるが、これも日記だからそういうことも書く。
未だに僕を舞台に立たせてくれる友人との練習の話で、こんなことを話しても誰が得をするのかわからない内容だ。僕の趣味は楽器演奏だ。

 

彼はライブの企画を立ち上げており、自らもバンドマンとして精力的に活動をしている男だ。他でもない、実は僕もまた考古学者となる前には同じように活動してきた経緯がある。就職活動時に本職としてそれを選ばなかった理由はここでは伏せておくが、それなりに真面目に活動をしていた。
彼とは初めて会ったのがいつだろうか。第一印象は感情の動きが読めない男、だった。だがひとたび楽曲制作となると個性的で真摯な曲を作っており演奏も類い稀に上手く、個人的に興味が沸いた。
とある企画で一緒になり、その時には僕が忙殺されて協力がなかなか出来なかったので、内心恨まれても仕方があるまい、もう縁もないかもしれないと思っていたこともあった。

 

彼が活動を続ける中、僕は考古学と職人の手業を学ぶことに没頭した。かつての人脈はほぼ皆が成功しようがしまいが芸で食いつなぐ中、そうしたブランクを容赦なく作っていった。
活動をすることはその度に現れるハードルを毎回のように見上げることと同義だ。職人としての歩みも、何だってそうだが、僕は明らかに息切れていた。そこから離れたことは決して逃避ではないにせよ、ハードルを一度では飛び越えられないことが続き、望みを失っていた頃が少なくともあった。
やがて身の回りからは活動を行うメンバーが減り、僕は取り残された。僕は決して自分からあれがやりたいだとか、こういうのはどうだとか、先導して人間を集めるタイプではなかったからだ。

 

最近では、自分の無理のないペースで、無理のある作り方ではなく演奏できる場所に再び恵まれたが、そのバンドで舞台に立つことになったきっかけは彼が与えてくれた。
数度組むこともあったが、そうしているうちに、趣味を持って暮らしていた頃を思い出した。

 

左手が昔よりも弱くなったから鍛えなければ、だとか、曲の構成に問題を抱えていて貢献できる箇所を探さなければ、だとか。昔越えたようなハードルばかりではない障害がトラックには大量に見えた。
何より嬉しいのが、彼は走り続けており、また僕は走り始めた実感を得ていることだ。

 

仕事は仕事で、僕は僕だ。僕には夢がある。

ピアノの弾ける父親になることだ。

劇場とポンコツの身体

特に書くことがない日、という日は日記を書く時に定期的に訪れる。書くべきことがないわけではなく、書くべきではないのではないかと悩む日だ。

考古学者兼職人の日記を書くのはそれほど負担がないものの、例えばこんなに美味しいものを食べたいい日だっただとか、こんないい映画を見ただとか。そんなものを見せられたくない人というのは往々にして居ることを知っているから悩むのだった。

だから基本方針を定めておくと、ここではあまりにプライベートなことは避けつつも、自分が楽しかったことについても特に気にせず書くように心がける。生きているということは辛いことだが、辛いことをし続ける第三者というものほど理解しがたいものもあるまい、とこう思ったからだ。

 

今日は劇を見る日だった。三谷の新作で、以前とは違い全方位に客席がある池袋の東京芸術劇場の公演だった。

僕は劇というと、役者の細かな表情は見えないし、強いシーンで早口をまくし立てたりするあたりが苦手だった時期があるが、最近眼鏡を作ったことと三谷はそういうアプローチをどうでもいいシーンでしか使わないので気に入っている。

あの早口は鍛錬の成果を見せようとする、いわゆる「粋」なのだろうか。一度役者を目指す人に聞いてみたいところだ。

肝心の内容については伏せるが、喜劇作家らしい緊張と弛緩のバランスと、伏線の張り方から先があまり決め打ちで読みにくいいい話だった。それと優香があそこまで「やる」役者だと思ってなかった。かなり面白い部類の内容で大満足だった。

本題はここからである。

 

手に汗を握る、という評価がある。いや、なにも観劇中の手汗の量が多いという話をしたいわけではない。あれはなぜ手汗をかくのかを考えたことはあるだろうか。

実は僕の癖についての話題なのだけれども、皆さんにも当てはまるのではないかと思い、投げかけてみようと思い立った。

映画や劇を観るときに、休憩や終演時に身体が硬直することはないだろうか?

 

いわゆるラブストーリーや動物モノ、ギャグストーリーにバイオレンス、どれを観ようと変わらないことがあって、劇中に身体が硬直し、気づけば万力のような圧力で膝を掴んでいたり、床に面した足が震えるほど踏みしめられていたり。

ひとえにシーン毎の心象描写や展開への不安(作品的にも、メタ的にも)はどの作品にもある。程度の差こそあれ集中して何かを観察することを一時間以上もの間続け、その中で文脈を想像するという状態は少なくとも僕にとってはたいへん異常な状態だ。

今日は休憩時間がある劇のため、その状態に気づいて対策を立てた。あえてなにも考えず見るともなく見ず聞くともなく聞く瞬間を数秒続けたのだ。すると思った通りで、後半の強い展開中でも脱力することを合間に忘れず観ることができ、たいへん快適だった。

 

思うに、人間は心が大事だと良く言われるが如く、体の限界を心は軽々と越えて行く。それは歪みを生むこともままある。

この辺りを改善するためには、自分のそうしたポンコツな仕組みを冷静に判断して対処する他にはない。乗りこなせるよう調節するのか、乗りこなせないのだから諦めて度々休むのか、乗りこなせなくとも乗ってみるのか、場合によりけりやりかたがあるはずだ。

 

なにせ僕らの作った仕組みのうちで、身体よりも古くつくられた仕組みはない。冷静に観察して補修することは職人としては立ち向かわねばならないことだろう。

少なくとも、楽しく劇を観るためには。

呪われたコーデックスと除霊

一つ、職人としての知を共有しなければ今日の日記は綴ることができない。
コーデックスは大きく二つに分けられる。一つは、人間が見えるもの。もう一つは見えないもの。たとえば材料を量る指示を表示するものと、その裏で材料を量ったというエーテルを受け取りその指示へとつなぐもの。これを具象コーデックス、抽象コーデックスと呼ぶ。
抽象コーデックスは見た目を伴わず、多くの具象コーデックスの中で流用されうる。【フェオ】が作った抽象コーデックスがそうであるように、多くの具象コーデックスの根幹となっている場合が多い。これは、その抽象コーデックスが悪ければどの具象コーデックスにも影響を及ぼし、逆にその抽象コーデックスが良ければどの具象コーデックスも正しく動作を行うことを意味する。

【フェオ】の抽象コーデックスの悪辣さについては先日綴った通り。触れないし直せない抽象コーデックスはそれそのものが罪の結晶であり、通例であればさまざまな仕組みを使っている人々によって罰が下されるだろう。実際に、【フェオ】は過去にどこかの工場で散々な罵倒を受け、再起不能にまで追い込まれ精神を病んだ職人だと言う。我々のような職人見習いは、この出来事を我が身としてその報いへ畏れを抱かねばならない。
彼の抽象コーデックスには名前が付けられている。が、どの具象コーデックスへと組み込んでも罪を重ねることになる事から、もうお分かりだろう。名前を知るだけでもその呪いを受けるものの、そのものの名前を出すわけにはいかない。こちらはルーンをアルファベットで読み替え、エフと呼ぶことにする。
エフのような場合、考古学からの観点で職人としての手業を発揮する必要が出てくる。抽象コーデックスの動きを読み、誤った動作をした抽象コーデックスを元にして具象コーデックス側で対応する。すなわち、間違ったものを間違って使って正しく動かしたりする、ということである。

エフは一見非常に優秀な抽象コーデックスであり、また部品となる半具象コーデックスも含まれている。それ自体は部品だが、組み込まれることで具象コーデックスとなり得る代物だ。これを具象コーデックスで辻褄の合うような手業を試みようとすれば、非常に恐ろしいことが起こる。
喩えだが、右手を動かそうとして左手を動かしてしまったり、見たくないものを見て目を閉じようとして目を開いてしまったり。呪いと記す以外にない、通常ではありえないような禍々しい動作を引き起こす。

一部始終、今日エフを使った具象コーデックスを補修していて起こったことを書こう。
入力を行う四角が二つある。
その二つの四角の中で、カーソルが行ったり、戻ってきたり、また行ったり、それを、高速で際限なく繰り返す無間地獄だ。
死の反復横跳びと言ってよい。そして仕組みは固まり、呪いを吐いて動作を停止する。

まるで悪霊に取付かれたような動きだが、何が起こっているのか僕にはピンと来た。
要するにこのエフは、エフが考えている動き以外の動きを受け付けようとするとエフの思うがまま、我儘に、エフはエフだけの動きのみをし続けようとしたのだ。なんという執念だろうか。このように呪われたコーデックスを僕は初めて見たが、確かにエフのコーデックスを読み解くにつれそうした記述が随所にみられるのだ。
エフが思った動きをさせないように抑制し、補修する作業。
これはもはや職人の仕事でもまして考古学の研究でもなく、除霊ではないのだろうか。

除霊してやるよ藤原

失われた「行きつけ」と、この街のイタリアン

工房へと毎日通う職人に取って、昼食の時間は重要だ。同僚の職人たちの中には、安く冷めた弁当を口に運びながら昼休みの間も手を動かす者も少なくないにせよ、僕に取っては優先順位がきわめて高い。

 

少し前まではエンジェルフェイクという洋食店が工房の近くにあった。オムライスが人気の、昼はランチ、夜は酒場として盛況した店だったが、諸々の事情が重なり無くなってしまった。
通い始めて5-6年だろうか。僕はここの店主にも店員にも顔や名前も覚えられていて、所謂「僕の行きつけ」の店だった。それだけにこの事件は非常に僕を苛んだ。
思い出深い店内が、開け放たれたドアの外からは打ちっ放しの壁に塗り替えられ、その改装を担当する作業員たちがせわしく出入りするところを見た時は、胸が痛んだ。
2号店があるものの、内装の懐かしさや1号店の店主は失われてしまったことで、しばらくはその道を通ることができない程だった。

 

この店があった建物が改装され、radicareという店になったのはつい最近のことだ。

この街でイタリアンを専門にすることは難しい。熟年の職人の比率が圧倒的に高く、彼らは決まって安居酒屋や定食屋に向かい繁盛し、イタリアンは瞬く間に消えてゆく。そういう意味ではエンジェルフェイクがこの街で生きてゆけたのは、手腕のなせる技だった。
radicareは手打ちパスタ専門店だ。ランチが千円で、周囲の定食屋に比べ明らかに高価。息が長く続くとは思えず、変わり果てたその店に、僕は足を踏み入れた。

 

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結論から述べれば大当たりと言わざるを得ない。

写真は自家製パンチェッタと玉ねぎのトマトソースで、絶妙な歯ごたえと決して濃すぎない味付けだ。付け合わせのサラダは新鮮で、パンはそれ自体でも食べることができるにせよ、残った具を乗せるにあたってこれも丁度良い。

店内は僕が訪れた頃には閑散としていたものの、やがてぽつりぽつりと客が来て埋まっていった。カウンターのない打ちっ放しの店内が、新たな客が新たな席について賑わいに満ちてゆく様を見て、かねてからの悲しみに安堵が追いついた。

 

この五反田に訪れて、もしも昼食に困ったのなら、この店の名前を覚えていてくれたら、少しだけ幸せになれるだろうと僕は思う。

悪しき賢者、【フェオ】

名古屋には昔偉大な職人が住んでいたと聞いたことがある。僕の所属する会社の水準をはるかに超えるコーデックスを記し、数多のコーデックスに流用させた、偉人である。

が、考古学者かつ職人たる僕の見解は違う。

皆考古学者ではなく職人のため、信じて疑わなかったろうが、その水準を超えたコーデックスの一切が文献と仕組みの解説を行っていない、本人にしか行使し得なかった力であることを僕は知っている。そしてまた、その力が虚偽によって齎された―――一見正しく動くようで、実は動いたり、そして動かなかったりする、未完のコーデックスであることを。

彼の職人の名の頭文字のルーンを元に、憎悪はあれども職人として敬意を表しF【フェオ】と呼ぶ。

 

職人として上記の理由で、職人を目指してから今までの年月、僕は【フェオ】を忌避していた。

が、会社は違う。【フェオ】は優秀な職人であり、名古屋を中心とした各区における戦略に多く携わり、その多くでそのコーデックを使っているため自然と属人化した管理体制にならざるを得なかった。そして【フェオ】は現役の職人であり、今もなおそれを拡大し続けている。

そうした地域の見習いの職人とも意見を交換したことがあるが、皆考古学の知識を携えていないことから、職人にとって最も大切な「何がどう駆動してどうなる」という核心が、【フェオ】のそれからは読み取れないと言う。

 

避けていた【フェオ】のコーデックスに触れる仕事を請けざるを得なくなったのはつい先月のことだった。名古屋の辺境に佇む、とある工場。

【フェオ】はこの工場の担当者を外された。

ついにコーデックスの悪辣さと、そしてまたその機能性に問題を抱えていると指摘を受けたのだ。

 

職人無き後の工場からは会社へのクレームが立て続けに起こった。我々の頭領は今までに「もう少しで」とか、「誠意取り組んでいる」とか、言っただろうか。実情はそうではない。誰もそのコーデックスを読み解き、そして補修することが出来なかったからだ。

工場にとっての正しい仕組みは、その工場によって定められる。僕たちはみな、それを聞きこんで仕組みを拵える。【フェオ】も例外ではなかったが、その記録を残していない。

我々のような会社について、そういった場合に工場側からは、当然職人から職人に技術や知識の伝道が行われて他の職人がその職人を継ぐ、いわば知の継承が行われるのが常とされている。【フェオ】はそれを行うつもりが無かったようで、全くの葦の原から田畑を耕す、そうした不毛な肉体労働が名古屋の地に、そしてしばらくのちに僕の身に降りかかったというわけだ。

 

今、僕はその未完のコーデックスを元に正しい動きすら分からないまま、仕組みを作り上げている。見えない正しさを元に試行錯誤し、求道する様はさながら生くる者の宿命にも思える。職人の求道とは、想像を絶する厳しさの上に成り立っていると、僕は認識を改めた。

そしてまた、【フェオ】もそうであったのだろう、と想起した。

 

ぶっ殺すぞ藤原