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生きている

職人見習い、考古学者。社会の中で僕は生きている。

真夜中への麻痺について

23時まで残業だった。理由は例の名古屋の工場の、実際の情報を古い仕組みから取得する作業でだ。【ユル】は検証担当であるからと、一切手を貸さなかった。だがこれはそもそも開発側でも修正側でも検証側でも、本来の担当などいない作業だった。
さすがに集中が途切れると疲れが押し寄せてくる。今日は短めだがご容赦いただきたい。

 

遅くまで残っていると、まだ残業手当がついた頃に親会社の工房で雇われ職人として仕事をこなした時のことを思い出す。毎夜毎夜、日に二回も麻婆豆腐を食いながら終電で帰っていたときだ。
見た目に気を使うほど自信のない僕よりもずっと、皆さんの方がお詳しいんじゃないかと思うが、それなりにどこに行っても見かけるブランドの服屋だった。大きな会社には当然大きな仕組みが入っており、その仕組み間の接続の仕方などを抑えて新たな動きの仕組みを入れる、というものだった。
これは当時の僕にとって抗いがたい要因も絡み合った恐ろしく重い負荷であって、全容の分からない迷宮でもがき苦しむような仕事だったことをよく覚えている。社内の監査を潜り抜けねばコーデックスは受け入れられないことをはじめ、担当が日が出ているうちには社内に居なかったり、顧客の管理と販売の管理の担当が仲が悪かったり、そもリーダーが就任して二週間であったり、など。
同じ世代の職人にしては残業の少ない僕にとって、帰れれば運が良く帰れなくても不思議ではないこの二、三ヶ月はかなり考え方を変えた。この一件が終わる頃になると、休みを休みとして迎えても特にやることが思いつかず、ベッドの上で途方に暮れていたことから、遅くまで残ることに慣れてもろくな事はないと悟った。

 

しかしこの、遅くまで手を動かすことというのは、少しばかり続ければ辛さに慣れてしまう。辛かった麻婆豆腐が丁度良くなるように、麻痺してしまうのだ。それどころかそれよりも強い痺れを求めさえすることがある(余談だが辛いものが好きな人ほどワークホリックである場合が多く感じる)。
この、慣れてしまうということが恐ろしくて、なるべく毎日は残らないようにしている。怠けていると言われても拒否する。先に述べたような、余暇の時間を何に費やしてよいかわからない休日ほど辛いものはない。遅くまで残って続ける手仕事よりも、これは僕には堪えた。

 

この課にはそうしたろくでもない時間まで残り続ける職人が、周囲から畏敬を集めながら数人居る。頼れる仲間として周囲が心配であるとともに、自分がまたいずれああならぬように立ち回るすべを身につける時が来ており、今試されているのかもしれない。