生きている

職人見習い、考古学者。社会の中で僕は生きている。

古代都市埼玉と尊大さについて

空は暗い。朝六時、まだ寒く桜は三分咲きといったところで僕は覚悟を決めていた。他でもない、今日は多くの企業に新入社員が入社する日だ。何の覚悟かって、それは交通機関が混乱することへの覚悟だ。

 

専門外に口を出した機構士のお陰で月曜の起床が五時半となった僕は、前日の重労働のダメージを回復しきれないまま電車へと飛び乗った。目的地は下りのためそう混んではいないものの、旅行でもないのに二時間もかかる目的地へと移動するのはストレスだった。

目的地に着き、タクシーを呼び、これこれこういう工場までと伝える。道中の赤信号でふと横を見れば、今や新しく作られてはいないであろう、赤さびた家族計画販売機に、現代技術の叡智が詰まった薄い素材の避妊具が並んでいた。なるほど、埼玉では古代の技術が現代にも生きている。温故知新の地域というわけだ。
考古学者の需要はひょっとすると都市部よりもこちらにあるかもしれない。

 

九時に工場へ着くと、まず初めに言われた指示は「もう少し後で」であった。それから一時間後ぐらいに一件、前回の稼働試験で見つかった元来の不具合への修正の挙動を見、問題がないことを確認し、二時間くらい外へ出て池の鴨を見ながら毒に火を点けて吸い込んだり、また作業員たちと肩を並べて弁当を食い、引き上げた。

僕は全くこの場に必要がなかったし、現場で直すような不具合は一切発生しなかった、ということがお分かりだろうか。

 

暗い気持ちで電車に乗り、それから一時間と少し電車で睡眠を取った。何度か目的地と間違えて聴き取ったのか僕の体は覚醒し、そしてまた暗い気持ちで睡眠を取ってを繰り返し、工房へと戻った。戻ってから特に機構士からは何も指摘はなかった。代わりに、僕の管轄外の、遠く離れた博多の地に住む、同年の職人が手掛けた「旧い仕組みそのままを現代技術に書き換えた」ものを「劣化」と切り捨てて報告をしていた。

彼は実は当時、この工場の担当技術者だったという。手ずから面倒を見た仕組みが間違って動いていたことを彼は頑なに認めようとせず、新しい仕組みを隅から隅まで見渡した時に見つかったものをこれ見よがしに「劣化」と決めつけ大声で喚きたてたのは、今に始まったことではない。
が、一応職人の端くれとして思う所があったので、彼からの連絡には旧環境で全く同様の操作を行って全く同じ障害が発生した画面を貼り付け、そして修正したコーデックスについて、見習いの職人に分かるように懇切丁寧に説明して添付した。自分の作ったものが完璧だと思っている程度には大人ではないにせよ、プライドを傷つけられて喚くほど子供ではないので、特に反応は無かった。

 

一つ二つ、今回の仕事で分かったことがある。

仕上げた仕組みの問題の非存在を裏付けることが悪魔の証明であるように、職人のあらゆる仕事について、完璧といえるものは存在しない。同じように、教育したり問題を指摘したりする仕事についても、全く同様で完璧と言える仕事は存在しない。
立場上、職人よりもそれを育てる役割の人間は上に見られ、当然ながら職人の技術水準を高める仕事はそれだけで尊い行いだとは重々承知しているものの、しかしそれ自体が正しい行いだとは誰も保障しない。
もし自分が頼りなげにそうした教育を施すことがあったら、と想像する。当然ながら相手は困惑するだろう。それゆえ慎重になることは難しく、今回のような大きい子供をあやすような状況が形成されるのではと思った。

 

新しく職人となる者も多い中で、そうしたことまで初めから分かっている人間がどれだけいるだろうか。と、はたと不安になる一日だった。

 

それはそれとしてお前は殺す。