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生きている

職人見習い、考古学者。社会の中で僕は生きている。

考古学者として

埼玉にある工場では色んな不思議な粉を混ぜ、加水して練り、ゴムとか、ゴムじゃないものにするなり、あるいはゴムの手前で出荷している。

僕を雇った会社は、その工場のシステムを手がけている。作業をする人が、この粉を何キロ、そしてこの粉を何グラムと測って小分けにして袋に詰める指示を表示し、誤差範囲ならOKとして袋に詰めさせる仕組みだ。その仕組みが、彼らにそれを可能にさせている。

ところがその仕組みは職人が遠い昔にこの地を離れており、なぜそんな仕組みを思いつき、作り、そしてもたらしたのかは完全に謎に包まれている。それどころか、測りについての文献もなく、その仕組みのコーデックスはあるものの現代の文法からかけ離れた書き方のおかげで正しく読むことさえままならない。

僕はこの会社で雇われている、考古学者兼見習いの職人だ。コーデックスを読み解き叡智を拾い上げ、そしてゴムや、ゴムでないものを作るために埼玉の地に再び新品の仕組みを組み上げることを使命としている。

 

コーデックスを読み解くうちに、仕組みと測りの間の作りがどうやらかつての職人には不得手だったようで、僕は狼狽したが辛うじてそれを改善した。

今日、かつての職人を知っていると称する人間が来てこう言った。

 

「きみ、改善するのはいいが、古いものがなぜ動いていたか説明できないなら改善とは言わないのだ」

 

のみならず、僕が丁寧に補修し拵えたコーデックスにひとつ、またひとつと指摘をする。ありがたい話に見えるだろうが、この指摘は間違っている。僕がまだ見習い以前に職人の従者を務めていたころ、そういう間違いをすることもあったろうか。

彼はこの会社で共に働く機構士だ。ヴェテランであり、また数多くの仕組みの物理的な機械を作り上げてもいる。発言力も強い。考古学者としては一流の自負を持っているが、僕は職人としては見習いを自称している。

そういう場合はウンと頭を下げて聞けと言った僕の師匠の職人はすでにこの地を去っている。だが僕は頭を小刻みに下げた。職人というのは、何も腕ばかりの仕事じゃない。それは、受け継がれた思想や信条から成り立つものだ。僕はそう思っているから頭を下げた。

 

「違いますね」

僕は補修部分への誤った指摘についに耐えきれず、つい間違いを訂正した。ひとつ訂正すると不思議なもので、先程のこれや、それからあれもとあれよあれよと口をついて正しい知識が出てくる。

しかしそれが災いしてか、なぜか僕は来週、何もすることがないであろう埼玉の工場へと足を運ぶことになってしまった。

 

ゴムを作ったり、あるいは作っていなかったりする工場へと、来週の月曜に臨まなければならない。

 

死ね。